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カンボジア編

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私はカンボジアに行ったことがあります。

今は大勢の観光客がアンコールワットのあるシェムリアップに押し寄せ、“アマンサラ” をはじめ高級リゾートが、軒を連ねる町に変貌しましたが、私が行った時は、まだクメールルージュ(ポルポト派)がバイリンに拠点を構え、もちろんポルポトが存命のときでした。

思い出深いその旅行は国家試験の直前の平成10年12月でした。

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紙袋一つで日本を出国、タイのバンコクから首都のプノンペンに飛行機で飛び、バックパッカー御用達の安宿(ゲストハウス)Capitol に宿泊しました。バックパッカーは皆、空港からバイタク(後述)の運ちゃんに“キャピトール” “キャピトール”とフランス語風に連呼しながら向かいます。

当時のプノンペンは本当に貧しく、空虚で夜中には銃声が聞こえました。

国立のトゥール・スレン虐殺博物館には今は撤去されたと聞きましたが、多くの頭蓋骨で出来た地図がかがられていました。ここはポルポト政権下でS21と呼ばれた政治犯収容所で、2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは僅か8人です。あまりにショッキングで同行した友人と共にまさに絶句したのを覚えています。

その後、当時の地球の歩き方には海賊が出るので危険と書かれている、トンレサップ湖を船で縦断し、シェムリアップに到着、到着するや否や、ゲストハウスの客引き・・・・

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交渉の後、1泊1$の宿に宿泊しました。宿の名は失念しましたが、ボロボロですがシングルルームで鏡台、机、蚊帳、クローゼットがありましたので私には十分快適でした。

ちなみに当時はシェムリアップにはグランド・アンコールというホテルが一つあるだけで、あとは安宿です。如何に観光客(バックパッカーを除いた)が少なかったかを如実にあらわしています・・・・

当時のアンコールワットの遺跡群は本当に手付かずで美しかった・・・バイタク(今はあるのか知りませんが、当時の主な交通手段、原付の二人乗り)に乗って赤色砂岩で出来た女神像デバダー像を観に40km離れたバンテアイスレイにも行きました。途中あまりに美しい田園風景に運転手(英語とフランス語をしゃべる)にバイクを停めて写真を撮りたいといったのですが、狙撃されるといってなかなか停めてくれませんでした(一枚撮りましたが・・・苦笑)。アンコールワットのサンライズや巨大な遺跡の上で観たサンセット。そしてトゥームレイダーでも有名になった樹木に蓋われ破壊されたタプローム、今でも鮮明に思い出せます。

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そんな素晴らしい思い出の後は少々つらい思い出です。

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貧乏旅行(ビールもカンボジアでは一回しか飲めなかった・・・)だったため、タイには陸路で戻ることにしました。トラックの荷台に乗りアンコールワットのあるシェムリアップから当時の国道6号線(舗装はされておらず、橋も崩落している)を抜け、ポイペット(カンボジア側)からアランヤプラテート(タイ側)に国境越えを敢行しました。値段は確か6$でした。崩落した橋の代わりに丸太が架けてあるので、皆で車を押して橋?を越えます。舗装されていないのですごい砂煙です。友人はシュノーケリングの機材で難を逃れました。

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その後、なんとか無事に帰国、そしてちゃんと国家試験に合格したのは幸いです(苦笑)!

大変充実した思い出に残る旅行でした。

吉田統彦拝

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