ÇHOMEブログ2019年 平成から令和に移った年を振り返って

2019年 平成から令和に移った年を振り返って

1.ノーベル賞と我が国の科学技術政策及びブレーンサーキュレーションを考える

 

2019年は今上陛下が即位し元号が平成から令和へと変わりました。

本年度、我が国ではノーベル化学賞を旭化成株式会社名誉フェローで、私の地元名古屋の名城大学大学院理工学研究科教授を務めておられる吉野彰(よしのあきら)先生が受賞されました。私も大変喜ばしいと共に誇りに思います。

また私が米国メリーランド州のジョンズホプキンス大学のフェローであった際の共同研究者であるGregg L. Semenza(グレッグ・セメンザ)が、細胞が酸素の欠乏した環境に適応することを可能にするHIF-1(低酸素誘導因子)を発見した事等によりノーベル生理学・医学賞を受賞しましたが、その共同研究の中で、私の主著論文として2010年にFASEB J. に掲載されたDigoxin inhibits retinal ischemia-induced HIF-1alpha expression and ocular neovascularization.そして私から私の米国での研究を引き継ぎ、本年、秋田大学の主任教授となった岩瀬剛氏の主著論文で私とDr. Semenza が共著者となっている論文Sustained delivery of a HIF-1 antagonist for ocular neovascularization.(2013年The Journal of Controlled Releaseに掲載)なども今回の受賞に若干の寄与をさせて頂いたと自負をしております。

しかし、今年も日本人の受賞者が誕生したと言って、喜んでばかりはいられません。先程のノーベル賞の研究に私が関わったという事実は、翻るとたとえ国籍が日本人でなくても、有能な研究者を日本に集めれば、彼らの業績は日本のアカデミア、日本の企業そして日本国の業績となり、そして日本におけるトランスレイショナルリサーチやイノベーションそして産業、雇用、税収へと繋がるわけです。

一方で元三重大学学長の豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長が15年に報告された「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」というレポートによると、「2002年頃から日本の論文国際競争力が低下し始めていて、13年には人口あたり論文数が世界35位、先進国では最低である」とされており、日本の科学研究分野における失速が問題視されている現状を踏まえると日本にブレーンサーキュレーションによって優秀な研究者が集まらない現状は深刻です。

米国では例えばNIHが優秀な研究者を招聘することは日本に比べて遥かに容易です。それは第一にNIHを中心に有能な人材にポストと研究室を速やかに準備できる環境があるからです。そして研究者の待遇が日本に比べて圧倒的に優っているからです。米国ではPhDという称号は社会的信用にもつながりますが、日本では清貧な研究者の代名詞になっている現状も見られます。

一方、我が国ではいくら優秀な人材を招聘しようとしても、然るべきポストがない。仮にあっても諸外国に比べて魅力的なものになりえていない。これではなかなか優秀な人材は集まってこないと思います。すなわち、以前から私が厚生・文部科学・科技特・内閣委員会などで何度も繰り返し申し上げているように、ブレーンサーキュレーションによって特に若い、優秀な研究者を世界中から集めPIや教官、アカデミアのポストにあてこめる「場所」と圧倒的な「魅力」が必要だと思うのです。

そこを鑑みると、現在医療分野の研究開発を総合的に推進する司令塔とされるAMEDの改革は必須ではないでしょうか?

AMEDは当初は日本版NIHとも呼ばれ、わが国における医学医療研究の司令塔を目指し、大きな期待を背負って発足しました。しかし米国メリーランド州ベセスダのNIHは同国の保健福祉省公衆衛生局の下にある1887年に設立された最も古い医学研究の拠点機関で、国立癌研究所、国立心肺血液研究所、国立老化研究所、国立小児保健発達研究所、国立精神衛生研究所、国立眼科研究所など、それぞれの専門分野を扱う研究所と、医学図書館などの研究所以外の組織、合わせて全部で20の研究所、7つのセンター計27の施設と事務局によって構成され、1万8000人以上のスタッフのうち6000人以上が科学者(医師、生命科学研究者)となっています。AMEDとNIHでは圧倒的なソフトハードの差があると言ってしまえばそれまでですが、最大の違いの一つは自前の研究室や研究者がいるかどうか?であります。つまりNIHは有能なハイエンド人材をNIHとして一本釣り出来ますが、AMEDは出来ません。AMEDも真の医療研究の司令塔を目指し、日本のブレーンサーキュレーションのメッカとしてハイエンド人材を集めるためには、予算を付けて自前の研究室を構えていく必要があると考えます。

以前から度々厚生労働委員会や科学技術・イノベーション特別委員会、そして今年の10月には内閣委員会でも質問し、他の委員会でもこの問題について何回か質問させて頂いていますが、一向に前向きなご答弁がいただけません。

私がDr.Semenzaと一緒にデータを集め、論文につながる研究をしていたのは2008年、2009年ごろであり、最終的に論文になったのは2010年でした。その後、私の研究を引き継いだ岩瀬剛教授の主著論文は2013年に掲載されています。そしてその当時既にDr.Semenzaの研究は円熟期を迎えており、そのノーベル賞の萌芽は更に10年、20年遡ります。山中伸弥教授のiPS細胞やアンドリュー・ファイアー教授とクレイグ・メロー教授のRNAi(RNA干渉)等のように極めて短期間でノーベル賞を受賞している例外を除いて、日本で現在ノーベル賞を取っている研究も、最低20年から30年前に行っていた研究や得られた成果が評価され授賞の栄に浴していると思います。そう考えると、我国の論文数そのものや論文のインパクトファクターそして被引用回数が減少している現在、我が国の研究体制もしっかりと再構築していく必要があると考えます。

 

2.勝負の年に向けて

 

本年も皆様に支えられ、国会で、地元で活動を続けてまいり参りました。

改めて、皆様からの温かいご支援に対し、メルマガ上ではございますが、深い感謝を申し上げます。

私吉田つねひこは、本年も市内の東区、北区、西区、中区で朝の駅での街頭活動、夕方のスーパーでの街頭活動を行ってまいりました。

本年も街頭演説会は朝と夕方に行っており、通算回数は1353回となりました。

私吉田つねひこは、今後も引き続き朝の駅前、夕方のスーパーでの街頭活動を継続し、様々な課題に対して、国民の皆様の声を拝聴し、国政に訴えて参ります。

皆様には是非とも立ち止まって頂き、私吉田つねひこの訴えに耳を傾けて頂ければ幸いです。

来年は、東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。同時に、2020年はいよいよ衆議院の解散総選挙も予想される勝負の年となります。

私吉田つねひこは、国会では皆様の生命、健康を守るべく努めるとともに、地元では、来たる衆議院総選挙に向け、より一層力を入れて活動して参ります。

引き続き皆様の大きなご支援をお願い申し上げますとともに、来たる2020年が皆様にとって幸い多き年であることを祈念いたします。

 

衆議院議員 吉田つねひこ 拝

 

第1257回立憲民主党愛知県第1区総支部街頭演説会 4月9日
第1079回民進党愛知県第1区総支部街頭演説会 7月30日
第1090回民進党愛知県第1区総支部街頭演説会 8月19日
第1031回民進党愛知県第1区総支部街頭演説会 5月28日
第1504回立憲民主党愛知県第1区総支部街頭演説会 8月10日(火)
第850回愛知県第1区総支部街頭演説会 9月11日

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